矢筈ヶ岳は、山口県防府市にある460.9mの山である。山名の矢筈すなわち双耳峰は、8合目に南北朝の騒乱期において南朝の後醍醐天皇方として籠城した敷山城がある。
右田ヶ岳から見る矢筈ヶ岳 | 大きな地図で見る |
歩行距離 | 2.5km |
所要時間 | 2時間05分 |
累積標高差 | (+) 320m (-) 320m |
コース | 登山口10:05 → 敷山城10:25 → 筈ヶ岳11:05 → 展望岩11:40 → 敷山城 → 登山口12:10 |
(注)国土地理院から提供されている2万5千分の1地形図によりカシミール3Dで作成したものです。
登り道を探すが分からず、しばらく探しようやく験観寺跡の奥にある車道終点駐車に到着する。杖が置いてある登山道入口に入り、階段を登っていく。左手にある忠魂碑を見て、もうそう竹の竹林に囲まれたなだらかな登山道を進む。敷山城跡に着く。敷山城跡(験観寺跡)には梵字岩(ぼんじいわ)という大きな岩、神社小祠がある。防府市街地と向島の展望がいい。
解説)史跡敷山城は、敷山験観寺というお寺で、十二僧坊を擁した大寺あった。広い本堂跡は十二の上に位置し、常に城砦として利用された。建武中興に反逆した足利尊氏の命により出兵した大内厚東氏の間に、国府詰めの小目代清尊、検非違使教乗が延元元年(1336年)6月に義兵を挙げ、地の利のある験観寺に篭城した。義軍の蜂起の通報に驚いた尊氏は、石見国の上野頼兼に命じて敷山城に軍を向かわせた。攻防戦は10日余りの奮戦後、清尊、教乗両師は自害した。
神社小祠の左手から右の道に入り祠の裏の尾根道を登っていく。シダの茂る泥道を行きロープの張ってある岩をよじのぼりって少し行くと鞍部に、左に行けば双耳峰のもうひとつ西峰に行く。右に折れ本峰を目指す。樹林の尾根道を行く。大きな岩を通過し、ロープが張ってある最後の急登を登れば矢筈ヶ岳山頂(460.9m)に達する。山頂は樹林の中に有り視界は無い。
記念撮影したあと登ってきた道へ下山開始。山頂を少し下ったところに、瀬戸内海側に突き出た展望岩がある。ごつごつした岩の上に注意しながらよじ登り弁当を食べる。展望は最高である。矢筈ヶ岳西峰、瀬戸内海、防府市街地、向島、大平山、となりの右田ヶ岳、その向こうの西目山、楞厳寺山、大海山がよく見える。視界がよければ九州の山々も見えるが、今日は視界があまり良くない。低山から見える景色には高山からのものとは違う魅力がある。下界の様子が手に取るように見える。となりの標高が変わらない山々の姿もくっきり見える。車や電車が走る風景も見えることがある。だからきっと矢筈ヶ岳は、築城場所に選ばれたのだろう。
尾根道分岐をそのまま西峰方向に50mほどいくともう一つに展望岩がある。大きな岩が割れたものらしい。展望あるが樹林が伸びて山頂直下の岩に比べればさほどでもない。再び尾根道分岐まで戻り下っていく。無事駐車まで戻ってくる。山の神様に感謝。車に乗り右田ヶ岳の登頂に向かう。
登山口の駐車場車を置く。 |
駐車場の側の登山口に入る。 |
↑ 竹林を登って行く。 ← すぐに忠魂碑がある。 |
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ケルンがある。 |
梵字岩 |
敷山城跡 |
敷山城跡から防府市街を見る。 |
↑ 鞍部分岐を右に折れ急登を登る。 |
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矢筈ヶ岳山頂(460.9m)に到着する。 |
樹林に囲まれ展望はない。 |
矢筈ヶ岳は双耳峰・もう一つの峰 |
山頂から少し下ったところに展望岩(地図にのっていない)がある。 |
落ちないように慎重に。 |
隣にそびえる右田ヶ岳 |
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〜展望岩から見る眺望〜 |
尾根道分岐をそのまま西峰方向に50mほど行くともう一つ大きな岩 の展望所がある。 |
展望所から防府市街地を見る。 |
〜矢筈ヶ岳下山後、右田ヶ岳登頂を試みたが体力が続かづ石船山で断念する。〜
石舟山から見る険しい右田ヶ岳 石舟山付近から見る矢筈ヶ岳 |
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